トムソンテーブルとトムソンテクニックについて

トムソンテーブルとトムソンテクニック

 

  トムソンテーブルは、カイロプラクティックの技法「トムソンテクニック」でアジャストメント(治療)を行う時に使う専用テーブルです。*カイロプラクティックでは治療用寝台のことを「テーブル」と呼びます。

普通の整骨院の診察台のような平台ではなく、頭部・胸部・腰部・骨盤部と足置台がそれぞれ独立して作られており、頸部と骨盤部はそれぞれ単独で角度・高さが調整できます。(機種によって異なる。)

トムソンテーブルの最大の特徴は、各部に設けられたドロップ機能です。ドロップ機能はトムソンテクニックに必須のもので、患者を寝かせたトムソンテーブルの治療部位をレバーや足踏みスイッチによってリフトアップし、その状態から患者の施術箇所を手で圧迫すると、圧迫部位のロックが外れてテーブルがわずか下に落ちるという仕組みです。

トムソンテクニックの利点は

  従来のカイロプラクティック治療では施術を行うには多少の体力が必要で、患者の体を抱かえあげるようにしなければならないことも少なからずありました。施術者の体力が無かったり、患者が巨漢だったりする場合には施術が難しく、患者も施術者も体力的・精神的に大きな負担を余儀なくされていたのです。

トムソンテクニックでは、治療は全て患者をトムソンテーブルに寝かせたままで行うので、患者も楽で、施術者もわずかな力だけで治療が行える利点があります。体力的に楽なため、トムソンテーブルを使わずに施術を行う場合に比べると、多くの患者を扱っても施術者の疲れが少ないのも見逃せない点です。

トムソンテーブル発明秘話

 

  トムソンテーブルはアメリカのクレイ・トムソンによって発明されました。クレイ・トムソンは生まれがカイロプラクティック発祥の地デブンポートの隣町だったこともあり、さらに父親がカイロプラクティックの矯正によって難を救われた経験もあった為、早い時期からカイロプラクティックに興味を持っていたようです。

クレイ・トムソンは医学や薬学に興味を持って勉強すると共に、機械工学や音楽にも興味を持つ多才な人物でした。アメリカが空前の大不況に陥った時にも自分で作ったブルーベリーを売って生計を立てたということですから、商才にも長けていたのかも知れません。若い頃に勉強したり経験した多くのことが、後に実を結んでトムソンテーブルの誕生に繋がるのです。

 

カイロプラクティックとの出会い

 クレイ・トムソンが実際に自分でカイロプラクティックの治療を初めて受けたのは、30歳代の頃だったようです。クレイが患った重度の糖尿病という血糖値疾患が、一見なんの関係もないように思える脊椎のアジャストメントによって完治したという経験は、クレイがカイロプラクティック理論に心酔するに足る驚きだったようです。

その後、クレイ・トムソンがカイロプラクティックを学ぶためにパーマースクール(カイロプラクティックの生みの親、DDパーマーが創設した学校)に入学したのは、クレイが36歳になった頃のことでした。

 

トムソンテーブルの誕生

 パーマースクールは当時、創設者DDパーマーの息子のBJパーマーによって運営されていました。BJパーマーはカイロプラクティックの授業のみならず骨学や解剖学・化学などと共に、自らが考え出したカイロプラクティック哲学なども教えていたそうです。この哲学が結果的に教師や学生のカイロプラクティックへの情熱を高めて学校の団結を強めたのですから、BJパーマーの才能も並みならぬものだったと言えるでしょう。

パーマースクールに入学したクレイ・トムソンはBJパーマーと懇意になると同時に、BJのカイロプラクティック哲学にも大きな興味を持つようになりました。後にBJパーマーが哲学の講義を行わなくなってからも、数人の仲間とBJの部屋へ押しかけてカイロプラクティック哲学の話を聞いていたことからも、そのことが窺われます。

クレイ・トムソンが今のトムソンテーブルの初期型を作ったのは、クレイ40歳頃のことだったと思われます。当時のパーマースクールにおけるカイロプラクティック理論では、施術対象とするのは第一頸椎と第二頸椎のみで充分と考えられていたので、クレイ・トムソンが最初に作ったテーブルも頸椎部分だけがドロップするものでした。

ドロップタイプの施術台はBJパーマーに称賛されることとなり、第一頸椎と第二頸椎のみのアジャストメントで足りると主張していたBJパーマー自身の口から、全身用のドロップテーブルを作ってはどうかとの提案がされました。パーマースクールでは、骨盤や仙骨などのアジャストメントを行ったら退学というほど独自のカイロプラクティック理論にこだわっていたので、BJ自身が他の部位にも使えるテーブルを提案したのは驚くべきことだったでしょう。

このBJパーマーの柔軟な発想から、現在のトムソンテーブルの原型となる全身タイプのドロップテーブルが生まれたのです。